卍・極楽寺(鎌倉市) [神奈川県]
真言律宗の寺院
山号は霊鷲山(りょうじゅさん)
詳名を「霊鷲山感応院極楽律寺」
本尊
釈迦如来
札所
鎌倉三十三観音霊場 第22番(如意輪観世音菩薩)
鎌倉二十四地蔵尊霊場 第20番(導地蔵)・第21番(月影地蔵)
鎌倉十三仏霊場 第12番(大日如来)
幵・金刀比羅大鷲神社(横浜市) [神奈川県]
横浜市南区真金町1丁目3
金刀比羅大鷲神社
(ことひら・おおとりじんじゃ)
~横濱のお酉様~
金刀比羅大鷲神社
(ことひら・おおとりじんじゃ)
~横濱のお酉様~
金刀比羅神社
◎祭神◎
大物主之命・崇徳天皇
大鷲神社
◎祭神◎
天之鳥船命
・例祭:11月酉の日
「おとり様」
稲荷神社
◎宇迦魂命◎
幵・お三の宮 日枝神社&吾妻神社(横浜市) [神奈川県]
横浜市南区山王町5-32
お三の宮 日枝神社
創建当時、吉田勘兵衛により奉納された獅子狗二体
現存する非常に貴重な当時のもので、現在は、
日枝神社ご社殿の御扉の中、外陣に静かに置かれています。
尚、同時に奉納された白狐二体は、
大正12 年の関東大震災の際に焼失しています。
吉田新田について ←ここをクリック
お三の宮 日枝神社
お三の宮日枝神社
おさんのみや ひえじんじゃ
社 名:日枝神社ひえじんじゃ
ご祭神・ご神徳
主祭神:大山咋命おおやまくひのみこと
創建当時、吉田勘兵衛により奉納された獅子狗二体
現存する非常に貴重な当時のもので、現在は、
日枝神社ご社殿の御扉の中、外陣に静かに置かれています。
尚、同時に奉納された白狐二体は、
大正12 年の関東大震災の際に焼失しています。
吉田新田について ←ここをクリック
お三の人柱伝説
新田開発が難工事だったことから、氏子中はもとより横浜に広く語り伝わる
「おさんの人柱伝説」が生まれ、
「日枝神社」が「お三の宮」と呼ばれるに至る、ひとつの要因となっています。
「おさんの人柱伝説」が生まれ、
「日枝神社」が「お三の宮」と呼ばれるに至る、ひとつの要因となっています。
日枝神社唯一の兼務社
吾妻神社(あづまじんじゃ)
横浜市中区本牧原29 ー18
御祭神
祭礼
1月17日:例祭(例祭)
7月17日:例祭(例祭)
創建年代は不明ながら、本牧原一円の鎮守として、
かつては吾妻権現社、吾妻明神社と称し、
「新編武蔵風土記稿」「江戸名所図絵」にも紹介されている。
かつては吾妻権現社、吾妻明神社と称し、
「新編武蔵風土記稿」「江戸名所図絵」にも紹介されている。
戦災で失われた神体像は、髪を束ね、右手に剣を持ち、
左手を帯に挟んで立つ姿で、煤のため真っ黒になっていたといい、
その背面に「文和三年(1354)正月十七日祠基新謹平重広」
と銘記されていたと伝わる。
新田義貞の臣・篠塚伊賀の勧請とする説は
このへんから出ているという。
左手を帯に挟んで立つ姿で、煤のため真っ黒になっていたといい、
その背面に「文和三年(1354)正月十七日祠基新謹平重広」
と銘記されていたと伝わる。
新田義貞の臣・篠塚伊賀の勧請とする説は
このへんから出ているという。
伝承によれば、神体像はかつて「向こう地」と呼ぶ
江戸湾対岸の上総国木更津にあり、「お吾妻さま」として
崇められていたという。 たいそう子供好きの神様であったといい、
ある寒い日、焚き火を囲む子供たちを見て、子供の姿に化身し、
仲間に加わろうとしたが、子供たちは見かけない子供を仲間に入れず、
焚き火の中に突き転ばして逃げ去ってしまった。
江戸湾対岸の上総国木更津にあり、「お吾妻さま」として
崇められていたという。 たいそう子供好きの神様であったといい、
ある寒い日、焚き火を囲む子供たちを見て、子供の姿に化身し、
仲間に加わろうとしたが、子供たちは見かけない子供を仲間に入れず、
焚き火の中に突き転ばして逃げ去ってしまった。
あまりの熱さに「お吾妻さま」は海に飛び込み、
そのまま本牧の浜に流れ着き、地元の漁師吉兵衛の網にかかった。
吉兵衛は焦げた「お吾妻さま」の腹部に布を巻いて
本牧の地に祭ったという。
ひどい目に遭った「お吾妻さま」ではあるが、
子供好きであることに変わりはなく、
小児の病難を救い、癇の虫を封じてくれたため、
安産の神様、子供の神様、虫封じの神様として信仰され、
願いが叶ってお礼参りする人々は、いつしか神前に
粟餅を供えるのが恒例になったという。
そのまま本牧の浜に流れ着き、地元の漁師吉兵衛の網にかかった。
吉兵衛は焦げた「お吾妻さま」の腹部に布を巻いて
本牧の地に祭ったという。
ひどい目に遭った「お吾妻さま」ではあるが、
子供好きであることに変わりはなく、
小児の病難を救い、癇の虫を封じてくれたため、
安産の神様、子供の神様、虫封じの神様として信仰され、
願いが叶ってお礼参りする人々は、いつしか神前に
粟餅を供えるのが恒例になったという。
ご神体が戦災で焼失する以前は、
7月の例祭当日、神体像の腹部の帯を交換する
「腹帯巻換の神事」が行われていた。
7月の例祭当日、神体像の腹部の帯を交換する
「腹帯巻換の神事」が行われていた。
今は、神事のみが執り行われている。
幵・鎌倉宮(鎌倉市) [神奈川県]
多くの神社ではご祈祷してもらって
厄を祓ってもらいますね。(鎌倉宮も祈祷はあります)
厄を祓ってもらいますね。(鎌倉宮も祈祷はあります)
鎌倉宮では自分から手軽!?に
厄を払う、というより身代わりになってもらうという
「撫で身代り様」
「身代り人形」
「厄割り石」
幵・荏柄天神社(鎌倉市) [神奈川県]
鎌倉市二階堂74