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幵・お三の宮 日枝神社&吾妻神社(横浜市) [神奈川県]

横浜市南区山王町5-32


お三の宮 日枝神社




お三の宮日枝神社

おさんのみや ひえじんじゃ


社 名:日枝神社ひえじんじゃ


ご祭神・ご神徳

主祭神:大山咋命おおやまくひのみこと


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創建当時、吉田勘兵衛により奉納された獅子狗二体
現存する非常に貴重な当時のもので、現在は、
日枝神社ご社殿の御扉の中、外陣に静かに置かれています。

尚、同時に奉納された白狐二体は、
大正12 年の関東大震災の際に焼失しています。



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吉田新田について ←ここをクリック

お三の人柱伝説
新田開発が難工事だったことから、氏子中はもとより横浜に広く語り伝わる
「おさんの人柱伝説」が生まれ、
「日枝神社」が「お三の宮」と呼ばれるに至る、ひとつの要因となっています。


日枝神社唯一の兼務社
吾妻神社(あづまじんじゃ)

横浜市中区本牧原29 ー18


御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)




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祭礼
1月17日:例祭(例祭)
7月17日:例祭(例祭)


創建年代は不明ながら、本牧原一円の鎮守として、
かつては吾妻権現社、吾妻明神社と称し、
「新編武蔵風土記稿」「江戸名所図絵」にも紹介されている。

戦災で失われた神体像は、髪を束ね、右手に剣を持ち、
左手を帯に挟んで立つ姿で、煤のため真っ黒になっていたといい、
その背面に「文和三年(1354)正月十七日祠基新謹平重広」
と銘記されていたと伝わる。
新田義貞の臣・篠塚伊賀の勧請とする説は
このへんから出ているという。

伝承によれば、神体像はかつて「向こう地」と呼ぶ
江戸湾対岸の上総国木更津にあり、「お吾妻さま」として
崇められていたという。 たいそう子供好きの神様であったといい、
ある寒い日、焚き火を囲む子供たちを見て、子供の姿に化身し、
仲間に加わろうとしたが、子供たちは見かけない子供を仲間に入れず、
焚き火の中に突き転ばして逃げ去ってしまった。

あまりの熱さに「お吾妻さま」は海に飛び込み、
そのまま本牧の浜に流れ着き、地元の漁師吉兵衛の網にかかった。
吉兵衛は焦げた「お吾妻さま」の腹部に布を巻いて
本牧の地に祭ったという。

ひどい目に遭った「お吾妻さま」ではあるが、
子供好きであることに変わりはなく、
小児の病難を救い、癇の虫を封じてくれたため、
安産の神様、子供の神様、虫封じの神様として信仰され、
願いが叶ってお礼参りする人々は、いつしか神前に
粟餅を供えるのが恒例になったという。

ご神体が戦災で焼失する以前は、
7月の例祭当日、神体像の腹部の帯を交換する
「腹帯巻換の神事」が行われていた。
今は、神事のみが執り行われている。

 




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